弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

判例時報2323号 面会交流、間接強制

・東京地裁立川支部平成28年2月5日判決

面会交流を命じる審判が未確定(抗告中)段階での不実施について原告(父)からの損害賠償請求を認めず、また、原告が審判記録中の書面を謄写して担任教諭や小学校当に郵送したことについて、プライバシー侵害で損害賠償(30+3万)と差止を認めた判決です。

・東京家裁平成28年10月4日決定、東京高裁平成28年4月14日決定

面会交流の間接強制について、原審は1回100万円、抗告審は30万円とした事例です。載せ方を恣意的に感じてこういうのはちょっとイヤ。

松浦理英子「最愛の子ども」

長距離バス車内にて。

女子高校生の群像劇、若者の自意識、いくら鮮烈でももはやあんまり興味ないなあと思いつつサラサラと読んでいて、中盤、「あの人」のくだりで急にぐっときて(若者の生々しい生きざまより時間差をつけて振り返るこの部分の感じ!)、そして最後の語りでもっていかれた! この自分の未来への絶望感、「ナチュラルウーマン」の最後が思い出されて。

で、「ナチュラルウーマン」。

読みたくなって久しぶりに読み返したんだけど、「最愛の子ども」の最後を読んで、ああ、ナチュラルウーマン!と思っていたときの「ナチュラルウーマン」はもっと素晴らしい物語だったのに、いまあらためて読んでみると、私は記憶の中で「ナチュラルウーマン」を美化してたような気がする…、内容がどうというより、その行為はばっちいんじゃあ…と思えていちいち気が散ってしまって。

(あと、「ナチュラルウーマン」の3部構成って、痛々しい若さがどんどん退廃して観念と肉体が分離していくのが三島の「豊饒の海」を思い出して急に「豊饒の海」も読み返したくなった。)

「港って旅立つ場所っていうより帰って来ないといけない場所みたいに思える」「闘う価値もないものと闘うより、ひとまず離れた方がいい」「道なき道を踏みにじり行くステップ」「心を鍛えるだけでは幸せに生きて行くのに充分ではないのだ。」

このインタビューで、最後に希望を感じたというインタビュアーに、著者が意外と応えていて、そうたしかに、この一連は印象は絶望なのに字面は希望っぽくてどっちに読むんだろうと思ってたんです。

bunshun.jp

 

 

最愛の子ども

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

こだま「夫のちんぽが入らない」

怪作。こういうふうにしか生きられないものか?もうちょっと手前でなんとかして無難な人生になれなかったものだろうか??と思ってしまうけど、きっとそうなんだろうし、本人的に昇華できたからこうやって書けているんだよね? リアルには他人のことって、つらさもその昇華のされ方も傍目にはわからないものだけど…。

夫のちんぽが入らない

保坂和志「試行錯誤に漂う」

 12月から半年かけて読んだ。いろんなことがあった半年であった。

「出来事や行為には現在という時点から前に向かうプロセスしかない。」「生徒根性」「山の向こうに山以上の何かがあるのではなく、山がある。山を見て人が山より大いなる何かを予感したのだとしても、それはまだ汲み尽くしていない山のことだ。目の前にある山を見て、言葉はわずかなことしか語らず、語りきれないものが山の向こうにある何かであると人は感じるのだがそれが山だ。」「「いいこと」はすでにある。」

試行錯誤に漂う

竹内久美子「本当は怖い動物の子育て」

 動物の子育ての怖い部分と、人間の行動がそれで説明ついてしまう部分は、身もふたもなく言えばそのとおりで、だからこそ衣食足りて動物に堕ちない保障をどうやって実現していくか。

本当は怖い動物の子育て(新潮新書)

キャスリーン・フリン「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」、土井善晴「一汁一菜でよいという提案」

ダメ女の、丸鶏をさばくのくだりは、日本だったら魚をおろすという感じでしょうか。

一汁一菜は、一周回った着地点。おみそしるの画像がちっともおいしそうじゃないのはこれでよいというわざとなんだと思うけど、やっぱりおいしそうじゃない…

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室

一汁一菜でよいという提案