「本屋に並んでいる雑誌という雑誌を全滅させてやるぐらいの気持ちで作れ!しくじったら腹を切って死ね!腹を切って死んでも平気な顔をしてよみがえれ!そして何事もなかったようにまた雑誌を作れ!」
その意気で。
このごろ読んだのは「夏物語」も「先をゆくもの達」もよかったしこれもよかったなあ。
そして思い出すのは、なんだか動揺しての帰り道のあったことを、自分用メモ。
・いじめを深刻化させるキーワード。シンキング・エラーとアンバランス・パワーが揃うと当事者どうしで解決できない。
・考え方を変える、行動を変える、集団を変える
・いじめ対策にも公衆衛生学的手法
・HAHASO strategy
終章に「学校風土」とかありつつ、途中で登場した学校崩壊ケースへの対応が数年かけて教員と生徒が入れ替われば正常化するというだけだった(ように見えた)のが不満。よい学校風土を目指すのはもちろんいいんだけど、今ある崩壊学級への対処を何とかしてやってほしい。私はこないだのいじめ関係の某役所の会議で、ピンポイントでのいじめ対策もいいけど学級崩壊でまるごとダメになってる学級に手を打ててないように見えるのはどうなのかと発言して、そのあとそのへんの人たちにも聞いたし、あとはいろんな機会で元教員の人たちにも聞いてるけど、学級崩壊への対応メソッドってほんとにないみたい? 自分とこの子の学級という意味ではなくて、某おつとめの関係で学級崩壊の具体ケースに複数接していてすごく気になってる。
神田橋先生は、五本指イイコイイコとかなんなんだこの人は?と思ってましたが、本書は心理職ではない対談相手ならではのつっこみが見どころというような書評があったので読んでみました。
・「と思っていた」が真ん中にくる。「いまにして思えば私は前からそうだった」と思わない人はかぶれているか洗脳されているか。本当に確立した人は「そういえば昔から私はそうだった」。そう思うならば確立している。
・同じ窓から見えていることを応答されると「抱え」、窓枠からギリギリ見えない景色、予想外ではありながら合っていることを言われると「揺さぶり」。あくまで窓が成立する範囲で、あまりに窓から外れるとそれは外の話し。窓の大きさを見分けるのが操作と診断。
・答え合わせはいらない。流れ全体を味わいとして頭に覚える。答え合わせをすると流れを頭に吸収していくプロセスが答え合わせの作業で歪んでしまう。答え合わせの作業が大事と思うのは問題集の答えを見る習慣からきている。答え合わせはおもしろいけど、しないほうが豊かになる。ずれていることが自分への「揺さぶり」。落ちつかないことは楽しい。落ちつくことは安らぎであっても愉しさではない。
・一寸先が闇であることを工夫して乗り越えてヤッターという感じが起こってくる、それがちらちら起こるように自分の職業人生を作っていく。
・本人と家族が「なかよくケンカしな」みたいになるように。どこが折り合わないのかを明確にして帰ってもらう。問題を整理してラベルを貼る。
・モビールとテニス。
・心と体は別のものでなくて、同じものの投影された姿。
・「アタマ脳」「カラダ脳」
・悲しみの感情は癒やせないが感情の波及は癒やせる。認識によって乗り越える。
・愛着障害。機能を発揮する場が与えられない。その場に恵まれない。
・気分屋的に生きれば気分は安定する。
・苦痛感は自然治癒力の最低限の表現型。苦痛の声を制圧するのではなく、苦痛の声が何を要求しているのか読もうとする。苦痛や不快感は治療的なサービスを要求しているいのちの声。
・動きたい自分ととめる自分がある。とめる方が勝つから動きがとれず、動くニーズがあるから不愉快。そのときの「揺さぶり」は、とめているのも自分であることを自覚させる。苦しんでいる人を悩んでいる人に変える。
・本人に明るい未来像を植えつける。その人に使いこなせそうなハウツーを教え、何か手の打ちようがあるという希望を与える。
・本人のメインテーマについての感覚を肯定する。耐えてがんばる素質があるけれど、身体がまいっちゃってるねえ、と身体と心を分けて言う。まだがんばるか、がんばらないことにするかを選ばせる。選ぶことくらいはできる、決めてきたら賛成する。自己揺さぶりの誘発。現状を変更する方向へ動こうとする本人の志向性にエネルギーを与える揺さぶり。抱えによって自分のなかの揺さぶりが開発される。開発されない場合には選んではダメと言って抱える。観察する精神を平衡状態から救出して、平衡状態を眺める人にする。救出された人は施術者と同じ目線になり、痛みが外在化される。
・幼稚園ののびのびした素質に着目すると多様なものが出てきてとめている力をくぐり抜けたり押しのけたりするエネルギーが育っていく。とめられたときの話しからスタートするのが従来の精神療法。とめられている側の力を増やすことでとめられている側がとめる側を揺すぶるようにさせる。葛藤関係が生じるように言葉を投げる。
・「ここですわ」ではなくて「ここかな?」。見立てを分け合う。
・アタマ脳とカラダ脳。サインは聞くが越境しない。
・「抱え」「揺さぶり」ではなく「抱えられ」「揺さぶられ」が到達点。
・達観したあとで振り返って「曖昧なものでした」というのは達観した自分の感想として言うのはいいが、後を追う人の道しるべにならない。「山のてっぺんは気持ちいいですよ」じゃなくてどうやってそこまで行ったかが知りたい。
・病部分の外在化。とりあえずの健康部分の救出。
・病気をきっかけに一段上の段階に持ち上げる。治すことは原状復帰ではなく成熟につなげられる。
・関与と観察。家族は観察されることを求めていない。観察から関与に構えを変えることで目の前にいる家族が変わる。
・家族の病理。病理は家族が新たな展開をするための大事な箇所。病理と正常化が表裏の二重構造。
これは中井先生の本のどこかでだっけ、暴れる、変になっている人はそうできるパワーがあり、それを生かしきれないからそうなる、むしろ希望を示すものでもある、みたいなことが書かれていたなと思いだしつつ…
・河合先生「やっぱり自分はこういうことに向いていないのではないかとか、自分がするのはクライアントに申し訳ないとか、それは何度も思いましたが、ほかにすることがないと思いました(笑)。何か運命みたいなもので、これ以外にすることがあるかと考えたら、もうない。ないのだったら死にものぐるいになるより仕方がないというふうな感じもありました。」
・僕が治しているのではなく、クライアントが自分で治る。
・いっぺん徹底的に頑張ってやるということがなくて、そこ(他力)へ行っては危ない。
・自転車のハンドルを死にものぐるいで握っているのと一緒。
・逃げ出して「ああ、またか」と「お帰り」の違い。難しくても。
・言説のレベルで言ったり考えたりできることと、振る舞いに本当ににじみ出るかの違い。伝わるのは振る舞い、なにげなさの方。
・にもかかわらず生きる力を持っている。その力を生かせる保障。
・その人が生きている現実が変わらずに症状だけがポロッととれることなどない。
・問題に気づく目より、よさや可能性を感じ取る能力。
神林長平「先をゆくもの達」読んだ!初神林の「膚の下」いらい「膚の下」みたいなのがずっとずっと読みたかったしかしそれ以上だこれはと興奮しながら。テッドチャンの感じも(信仰と未来視)。
視野狭窄っぽい男の一人語りモードがないのがよかった。新作でるとわかって待ちきれなくて未読だった「狐と踊れ」を読もうとしたら視野狭窄系ばかりで途中で挫折してたから。
「おれ」が出てくるとたぶん視野狭窄の語りでダメなんだよね。「わたし」か「ぼく(トリがぼくと言い出したときの妙なときめき!)」だわ。今回、一人称わたしの語り出しでしばらく読んでて性別を逆にとらえていてあれ違ったわとなることが多くて、わざとだと思うけど。 (以上Twitterより)
神林は新刊出てもインタビュー記事とか出ないのはどうして。