弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子の読書日記

小松秀樹「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か
著者の危機感と、司法界に対する苦言はごもっともな部分もあるのですが、以下の点については、お考えを整理していただきたい、誤解を解いていただきたい、と思います。


まず、クレーマー的な患者による病院・医師への攻撃の問題と、医療訴訟による「攻撃」(と医師が感じること)の問題は、全く別の次元の問題です。
本人訴訟についてはともかく、弁護士が受任する医療訴訟で、当事者がクレーマー的な人物でクレーマー的な行動で病院を悩ませるなどということは、まず無いと思います。
弁護士が医療事件を受ける際は、たとえば私であれば、“医師の責任を問うには、結果が生じたという一点だけでなく、結果の予見可能性、回避可能性が必要である。ご希望であれば、責任を問える案件かどうか調査するが、調査の結果、責任を追及できないという結論を出すこともある。その場合でも、調査費用はお返しできない”旨をお話しし、そのことが受任の前提になりますが、クレーマー的人物であれば、この受任構造に乗ってくることはまずありません。
そもそも、弁護士には(医師と異なり)受任の自由があるので、方向性が合わなければお断りすれば済みます。
本書では、クレーマーによる攻撃と、医療訴訟による「攻撃」が同一の文脈の中で語られていますが(たしかに、「攻撃」を受ける側からすれば同じかもしれませんが)、これらは別物であり、別個の検討が必要でしょう。


さらに、裁判では「結果ありき」で責任が認められる、とお考えのようですが、理論的にも実務的にも、結果の重大性のみで責任が基礎付けられるなどということはありません。
医療訴訟の主張の応酬において、「プロスペクティブ(前方視的)」「レトロスペクティブ(後方視的)」という言葉がよく用いられます。
原告患者側では、レトロにみて結果発生が予見、回避しえたことはもちろんのこと、プロにみても同様であることの主張、立証が求められ、結果が重大で救済の必要があることをいくら強調しても、主張、立証の負担が軽減されるわけではありません。
本書で取り上げられている阿部英氏の判決でも(刑事事件ですが)、このプロスペクティブな見方から、「まさにその当時においてどのような行動が期待できたか」が検討され、無罪となったわけで、本書で引用されている判決文だけでも、裁判が「結果ありき」ではないことはお分かりいただけるはずではないかと思うのですが…


などなど、違和感を感じるところがありましたが(弁護士など門外漢が医療を論じるのに対して医師が感じる違和感も同様なのでしょうけど)、興味深く読めました。
医療事件にたずさわる者としての意識のあり方を問われるもので、いろいろと得るところ、考えるところがありました。