弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子の読書日記

調停考・説得考

・調停などの場で、手続主宰者から当事者に、ある理念(たとえば。子供には母親が必要、だから親権者は母親に…/子供には父親も必要、だから面接交渉を…など)を説いたときに、当事者が「わかりました」と言ったとして、それはたいてい、その理念を「心からわかった」というわけではないのです。このことは手続主宰者側からは見えづらくて、自分の説く理念が受け入れられた、とおめでたく受け止めてしまうかもしれません。しかし、多くは、当事者の言う「わかりました」の真意は、「(裁判所ではそういうことになっていることは/私の言い分が聞き入れられないことは)わかりました」というところにあって、「同意」ではなく「反論を諦める」というにすぎないのです。
・もともと当事者がその理念を信じていない/理念自体は認めても自分の件こそはその例外であると考えているときに、心からの「わかりました」を得るのは、閉じこめて洗脳でもしないと果たせないことでしょう。というのは極論ですが、手続中のごく短時間しか接しない者の言葉で当事者の考えを変えられるというのは、手続主宰者という権威を背負った立場ならではの思い上がりではないか?という自省もあってほしいということです。
・では、(裁判所ではそういうことになっていることは)の「わかりました」に意味がないかというとそうではなくて、当事者が心から「わかった」わけではなくても、自分の言い分が裁判所には通じないと「わかった」というだけで、その紛争の解決にはつながるのです。
・また、「(裁判所ではそういうことになっていることは)わかりました」という程度の同意であっても、簡単に得られるものではありません。説得する側が、世上言われる理念を鵜呑みに受け売りするのではなく、知識と経験の裏打ちのもとで、その当事者の事情をよくよく考慮して、どうするのが最善かを考え抜いた上での結論として説得することでようやく得られるのが、「(裁判所ではそういうことになっていることは)わかりました」だと思います。もしかするとこれは悲観的すぎる見方で、本当に真摯にあたれば本当の「わかりました」が得られることもあるでしょうけど…、とにかく人を動かすのはそれほどに難しいという気持ちをもって臨まなければ、どんな説得も独りよがりに終わるということです。
・なお、世の中で言われる理念(上記のような)は、常に正しいとは限りませんが、一定の世間知として言われる理念である以上は、かなりの割合で当たっていると考えてよいでしょう。そういう意味で、「(裁判所ではそういうことになっていることは)わかりました」と言った当事者は、長年月を経て振り返ったときに、「心からわかった」の境地に至るかもしれません。
・しかしそうでないかもしれません。手続主宰者も代理人も、当事者を説得して導いた選択の行く末まで見届けられることはほとんどないのです。そのことも自省しながら、当事者の最善の選択を支えるべく、自らも考え抜くことだろうと思います。
・自戒とともに。