弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

河野裕子、永田和宏、その家族「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」

家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日
歌をつうじて互いの気持ちをこんなにも通わせている家族であるというすごさ。それでも、死にゆく人の心のうちは、家族ひとりひとりがそっと推し量るしかないのだなあ。
3月に亡くなった人のことを考える。AIでわかったという死因からは、明日がないとは思わずいつもどおり眠りについて、気づかず苦しまず突然に亡くなったのだと思う。私人としても公にも多くの役割があったのにと心から悼むし、ご家族の悲しみは想像に余る。依頼された弁護士としてこちらが一方的に内情に立ち入っていた立場だった。
1月に亡くなった人のことを考える。若い日の友人だったので、互いに互いしか知らないエピソードがある。もちろんたいした大それた秘密でもないけど、彼女は私の分をさっさと墓場に持っていってくれてしまった。残された家族の悲しみも残していく彼女の悲しみも想像に余るし、私自身も自分の一部が持って行かれたような気持ちがする。このあいだ子どもを寝かし付けつつ適当に歌っていたなかで、彼女が好きだった歌がふと出てきて、そう気づいたときに喉の奥にこみ上げて歌えなくなった。とはいえ、10年以上前の歌で思い出されても、もうそんな歌とっくに忘れていたよって笑われるかもと、実務に就いてからは親交が淡いままで過ごしてしまった歳月を思ったりもする。私の出産報告へのお返事で病気のことを教えてくれたのだった。それでかなりむりやり日程を組んで会いに行ったのが最後になった。入院したと聞いてこれから毎日、退屈しのぎになるように雪景色でも写メしようと思ってた矢先のことで、最後に送った雪景色を撮った場所を通るたびに思い出す。いつも希望ある表現で話してくれていたけど、本当はどうだったのか、本当の気持ちはご家族ならわかっていたのかなと思ったこともあったけど、この本を読んで、きっと家族でもわからないのだろうなと思った。
もっと前、知人のご子息のお通夜に出たときのことを思い出す。まだ若かったご子息自身とは面識がなかった。まだ学生の友人の弔辞は最後、用意していたであろう文章から離れて、「○○、頑張れ、頑張れよ!」と呼びかける言葉になっていた。故人に頑張れという呼びかけは意味が通らないかもしれないけれど…そう言うしかなかった極限の言葉だと思う。
などと、亡くなった人のことを色々思い出してばかりいた。
いつなにがあるかわからないから、人との縁を大事にしようとか、身体の声に耳を傾けて無理せず休もうとか、そんなふうに自分に言い聞かせるときに、彼らの葬儀での法話の一節が頭をかすめたりする。故人が亡くなったのは残された人にそれらを教えるためであるという法話もあった。じっさい、故人の死に接するたびにそれらが私に深く刻まれたのはたしかだけど、でもそんな教えてくれなくていいから、私なんかは浅いままでいいから、生きていてほしかったと思う。