弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

南和行「僕たちのカラフルな毎日」

LGBTの講演などで親不孝と言われるというエピソードがあったけど、そのあたりがきっと一番きびしいギャップなんだろう。というのは、自らが子持ちゾーンに入ってみてはじめてわかる孫パワーというのがあると私は思っていて、私は人間関係に恵まれていたのかそれとも私がかもしだす威圧感のためか、長き子梨時代にあっても一部の子ども脳一派以外からは産めハラを受けたことはないんだけど、いざ子持ちゾーンに入ってみると身内に限らず周囲の年配のみなさんが開けっぴろげにする孫という存在への熱狂っぷりを目の当たりにすることになって、孫適齢期のみなさまにとって孫への思いというのがこんなにも狂おしいものとは存じませんでした知らぬまま軽々に否定してきて今さらながら失礼いたしましたというのが正直な感想なのです。このことは今はまだ見て圧倒されているだけで、自分が孫適齢期の当事者になってみないとそれがどんな感情なのかは想像が及ばないようにも思う。そういう意味で子孫を残してほしいニーズと自分らしく生きれば子孫を残すことにはならない立場には抜き差しならない関係があるんだけど、そんなこと言ったって孫なんてのは望んでも自力では実現できないことであってそんなことより当人が自分らしく生きることが優先するに決まってるんだから、結局はご理解してもらうしかないとは思いつつ、ほんとそこにはのっぴきならない緊張関係があるよね。

あと、執筆動機として、理屈を語るより個人の物語の力があるから、というくだりがあって、まさにそのとおり個人の物語だからこその力があるんだけど、ひるがえってちょっと話しがそれつつ私がよく考えてるのは運動と当事者性のことで、個人の物語の力、すなわち当事者性をまといつつの運動ってやはりパワフルなんだけど、反面、当事者性のない、なぜその人がそれに取り組むのかよくわからない運動を見たとき、どうしてあなたはそれを?という問いは下世話な勘ぐりになってしまいがちだから実際には口にはしないのだけど、でもどうしてもそう思わさるよな~ということ。私も前にとある分野に今よりもっと熱心に取り組んでたときに、その活動に助力してくれていたさる立派な方が私の熱心さに打たれてか、なにか個人的な体験が?とおたずねくださったことがあって、しかし特に言うような動機がなくってスミマセン…となっちゃった気恥ずかしい思い出があります。思えば若さゆえになんかヤミクモに動いてただけで周りが見えてなかったなーと。特に弁護士としての運動って単なる平和な人助けにはとどまらなくて、何らかの意味でそれと対立する立場があったりして、特別に熱心に取り組むことは大なり小なりヒトサマに影響を与えうるので、なぜ自分が取り組むのかの物語として納得感を与える動機エピソードを用意しておいて、別にそれを前面に出さなくとも必要に応じて適宜開陳するのが周囲への礼儀なのかもなーと思ったりしています(これはあくまで前述の思い出からの自分に関してだけの反省で人にそうしろと言いたいわけではなくて)。大きくは、なんで弁護士になったか、という問いに対してもそうなんだけどね。

いつものことながら本の直接的な感想じゃなくてスミマセン。

 

僕たちのカラフルな毎日~弁護士夫夫の波瀾万丈奮闘記~