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弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子の読書日記

岸見一郎「幸せになる勇気」

ちょっと必要があってとある人の著作を続けて読み込んでるんだけど、それでつくづく思うのは、書いてる本人が怒って書いてる文章は読み手を引き込むより逆に気持ちを冷まさせるだけだっていうこと。準備書面とか、そうなりがちのことがどうしてもたびたびあるけど、気を付けなくては。

posted at 19:06:10 6月30日

いま読んでる「幸せになる勇気」で、青年が過剰にわからずやでおバカに書かれているのは、読み手がそれをバカだなあと感じて哲人がわの気持ちに沿っていき、哲人の言い分をわかった気持ちにさせる装置だと思うんだけど、そういう作用を準備書面でも実現できたら…。ってことは対話式書面??

posted at 19:09:58 6月30日

わかりにくかったかもしれないけど「幸せになる勇気」と、とある人の著作はまったく別の話。でもなんか私の脳内では、読み手の共感を得る文章装置という流れでつながった話題で。

posted at 19:21:28 6月30日

ツイートからの流れでこの部分はこの本の感想じゃなくてこのところとみに思うことのこっそりメモなんですが、やっぱり、何かを批判するときに過剰に怒ってたり自分の正しさを言い立てて「完全に論破できてます」とか言ってると賛同者なら気にならないのかもだけどそこまで入れ込んでない周囲の人を引かせるだけだよね、と思ったのはとある人の一連の著作ととある会のシンポとで。特に、同等な言論ではなくて既に確立したとみえる何かに立ち向かいたいという場面では言説だけじゃなくて運動なり情念なりの動きと手を組まなきゃいけなくて言説だけが鋭くなると情念がついてこないというかついてきてもアジテートになってしまうだけではないかとか。といいつつ先日もとある協議会で、その場にはひさびさのお目見えだったためにちょっとエンジンかけすぎた+あまりのトンチンカン発言に相手のアタマを頭突きでカチ割りたい衝動をこれまたひさびさにこの場ならではのうんざりする懐かしさとともにおぼえた→周囲を引かせるレベルに何かを炸裂させてしまったような気がする記憶も新しく、わかってても実践は難しいことなのである。読んでる聞いてるうちに知らず知らずに共感し説得されるような言葉の巧みさを身につけたいものですが、どうしても現状は巧みにはほど遠く過剰にバカで、共感させうる言葉より繰り出したいのは頭突きというていたらくなのであった。でもこないだも人とこのことを話したのだけどとある人の著作群は現場への牽制にはそれなりになってきているようなので、ちょっとバカみたいだったりうまく言えなくても言うべきことは言いたいときに大声で言っておくべきなのかもと思ってもいる。「正しくっても弱々しいよりは、間違っていても力強いほうが、まだ良い」!

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII