名著。深淵すぎる中井先生の言葉が、春日先生を補助線として読むとよけいに腑に落ちるような感じ。
・医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。(名言!)
・安定した看護、治療、相談は、「守秘義務をもった他人」だけができる。
・だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ。
・仕事を終えてもある患者のことが気になってしかたないなら、その患者に心理的に巻き込まれている。
・人間の身でありながら、少し人間以上のことをしなければならない者(←弁護士含む!)は、とくに精神健康に気をつける必要がある。傲慢な人になるかもしれない。そのツケが、家族にあらわれるかもしれない。
・正義われにありとか自分こそという気がするときは、一歩下がって考え直す。
・私たちを内面的にも外面的にも守ってくれるのは「無名性」である。
・「自分」が妙に意識されているときは、よい治療を行っていない。
・深刻な葛藤を抱えているときは万事控えめに、また、よく確認しておこなうことである。
・こころの中で「この人にも私にはみえない何かよいものがある。それがいつか生きるかもしれない」と念じておく。
・あたま、気、からだの3本立て。
・病識は、時満ちて病識に耐えうるしっかりした余裕があるところに自然に生まれる必要がある。
・薄皮を大切にして、はがないこと。
・睡眠をはじめとする身体の自然治癒力に助けられ、その上にうまく乗っかる。
・質問はすでに治療力がある(逆に破壊力もある)。
・支持的か切開的か、変化か安定か、強くするか(凹ませたり子ども扱いしたり納得していない結論を押しつけると弱くなる)、言語的か非言語的か。
・会ってから次に会うまでの時間中に働くもの。
・実感は論理より強い。
・(幻覚や妄想に対して)ふしぎだね、中立的態度。「困惑」という一点で患者とつながる。
・まなざしには治癒力も人間を解体から守る力もある。
・子どもが何を考えているか親には見えなくなる。透明な稚魚が不透明な成魚に。
・病気になる脆さが病気を通りぬけることによって払い落とされる。病気の前に戻すのではなく病気の前よりよくする。
・躁よく躁を制す。
・やさしさが権利化している。やさしさをめぐる幼児性の呪縛。やさしさは、押しつけがましくなく相手を包むものであり、求め求められる関係を超えたものであって、求めて得られるものではなく、求められてさずけるものではない。(ここ、ものすごく深淵なことが細かな字でさりげなく書いてあるところです)
・成熟とは、自分がおおぜいのなかの1人(ワン・オブ・ゼム)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である、という矛盾の上に、それ以上詮索せずに乗っかっておられることである。(矛盾を突き詰めず乗っかっていること、春日先生に言わせれば「中腰力」ということになるのでしょう。)
・疾病利得。病気という大きな社会的・健康的不利を賭けて得ようとするものであるから、切実なものが多い。疾病利得を現実の場面で実現させるとは、要するに、ストレスが少なく、人生の楽しさが多くなるようにすることである。
・主体性の回復。
・戦いは必ず共倒れに終わる。
・障害された人格とつきあう。
・問題だと思っているものの半分は解かなくてもよく、さらに半分は時間が解決する。