弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー」

さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
地下鉄サリン事件で死刑判決を受け上告中の豊田被告人の同級生である著者による、事件の分析です。出してくれる出版社がなくて、開高健ノンフィクションに応募し、受賞して出版に至ったという労作。
全体の調子が一貫せず、話があっちゃこっちゃいく感があるのとかはさておき、内容は興味深かったので頑張って読んだのですが、文体が合わなくて私には苦労が要りました。
客観的な論述部分はそんなことはないのですが、少しでも主観的なことを書くところでは、“自分に酔った男調”が基本文体のようです。これは「食う寝る坐る永平寺修行記」と同じ現象で、それでも、この“自分に酔った男調”で済んでいるうちは「ご愛敬」で許せたのですが、“年上の自分を「キミ」と呼びつける生意気な女”だという「相棒」が登場し、この“脳内相棒(「脳内」と決めつけてますが)”との会話調で考察が進む部分に至っては…
だって、会話調部分だけでなく、会話前後の地の部分でも、こんな↓なんですよ。
「どうにか話ができるまで彼女を落ち着かせるのは一仕事だった。新宿駅東口、紀伊國屋書店近く、喫茶店Tは、ケーキセット1つと紅茶2杯分、売り上げが伸びた。」(「相棒」をむくれさせてしまった会話のあとに)
「飲もうとしていた紅茶のカップを手に、私は相棒に尋ねてみた。」
こういう表現、ベタな気取りが、とってもイヤです。とはいえ、これは東野がイヤなのと同じ部分が反応しているわけで、しかし東野は売れてますから、この本のこういうところも、それほどの瑕疵ではないのかもしれません。

本題。帯にも採られている文ですが、「『誰かが黙って責任を取る』これをずっと繰り返しているから、1945年も、1995年も、そしていまも、何一つ本当には裁かれないし、日本は何一つ変わらない。」というのが、核心です。黙って責任をとる潔さは美しいですが、「ああいうこと」の再発防止のためには当事者がきちんと経緯を語るべき、という訴えです。