裁判例やほかの人の立場を批判するとき、相手が謙虚さを欠くという言い方をする人は、その人自身にとって謙虚さが課題(要はご同類)ってことだよなとこのごろ考えていて、あと、事件記録を見ないで判決だけ読んでする批判はどうしても限界があるって法曹であればわかっているはず、だけどわかってると思えない人もよくいるし、法曹以外はそこはまったく置き去りよね、ということもやはりよく感じて、いつもなんだかなーと半目になりながらそういう議論に接していつつ我が身も省みつつなんだけど、それらはこの本のこととはまったく関係なくて、蟻川先生が判例から出発して書かれることはそういう皮相な次元を超越していて私が普段思うようなことの文脈の中に無く、とにかくガツンとやられるしなんかしらんが文体もスゴイしこんなとこでこんなふうに太宰をつかうなんてなんてズルイ。ってどうして私は感想をバカっぽくしか書けないんだ!!!!!!
そして、読むというのは書いてあることだけが対象じゃなくて、書かれえたあらゆることを想起した上でそれらが取捨の上で書かれなかった、書かれざることをもあわせて読むものなのだ、ということも知ったのでした。