弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

神田橋條治・白柳直子「精神科医と整体師の技術対話 いのちはモビール 心から身体から」

神田橋先生は、五本指イイコイイコとかなんなんだこの人は?と思ってましたが、本書は心理職ではない対談相手ならではのつっこみが見どころというような書評があったので読んでみました。

・「と思っていた」が真ん中にくる。「いまにして思えば私は前からそうだった」と思わない人はかぶれているか洗脳されているか。本当に確立した人は「そういえば昔から私はそうだった」。そう思うならば確立している。

・同じ窓から見えていることを応答されると「抱え」、窓枠からギリギリ見えない景色、予想外ではありながら合っていることを言われると「揺さぶり」。あくまで窓が成立する範囲で、あまりに窓から外れるとそれは外の話し。窓の大きさを見分けるのが操作と診断。

・答え合わせはいらない。流れ全体を味わいとして頭に覚える。答え合わせをすると流れを頭に吸収していくプロセスが答え合わせの作業で歪んでしまう。答え合わせの作業が大事と思うのは問題集の答えを見る習慣からきている。答え合わせはおもしろいけど、しないほうが豊かになる。ずれていることが自分への「揺さぶり」。落ちつかないことは楽しい。落ちつくことは安らぎであっても愉しさではない。

・一寸先が闇であることを工夫して乗り越えてヤッターという感じが起こってくる、それがちらちら起こるように自分の職業人生を作っていく。

・本人と家族が「なかよくケンカしな」みたいになるように。どこが折り合わないのかを明確にして帰ってもらう。問題を整理してラベルを貼る。

モビールとテニス。

・心と体は別のものでなくて、同じものの投影された姿。

・「アタマ脳」「カラダ脳」

・悲しみの感情は癒やせないが感情の波及は癒やせる。認識によって乗り越える。

愛着障害。機能を発揮する場が与えられない。その場に恵まれない。

・気分屋的に生きれば気分は安定する。

・苦痛感は自然治癒力の最低限の表現型。苦痛の声を制圧するのではなく、苦痛の声が何を要求しているのか読もうとする。苦痛や不快感は治療的なサービスを要求しているいのちの声。

・動きたい自分ととめる自分がある。とめる方が勝つから動きがとれず、動くニーズがあるから不愉快。そのときの「揺さぶり」は、とめているのも自分であることを自覚させる。苦しんでいる人を悩んでいる人に変える。

・本人に明るい未来像を植えつける。その人に使いこなせそうなハウツーを教え、何か手の打ちようがあるという希望を与える。

・本人のメインテーマについての感覚を肯定する。耐えてがんばる素質があるけれど、身体がまいっちゃってるねえ、と身体と心を分けて言う。まだがんばるか、がんばらないことにするかを選ばせる。選ぶことくらいはできる、決めてきたら賛成する。自己揺さぶりの誘発。現状を変更する方向へ動こうとする本人の志向性にエネルギーを与える揺さぶり。抱えによって自分のなかの揺さぶりが開発される。開発されない場合には選んではダメと言って抱える。観察する精神を平衡状態から救出して、平衡状態を眺める人にする。救出された人は施術者と同じ目線になり、痛みが外在化される。

・幼稚園ののびのびした素質に着目すると多様なものが出てきてとめている力をくぐり抜けたり押しのけたりするエネルギーが育っていく。とめられたときの話しからスタートするのが従来の精神療法。とめられている側の力を増やすことでとめられている側がとめる側を揺すぶるようにさせる。葛藤関係が生じるように言葉を投げる。

・「ここですわ」ではなくて「ここかな?」。見立てを分け合う。

・アタマ脳とカラダ脳。サインは聞くが越境しない。

・「抱え」「揺さぶり」ではなく「抱えられ」「揺さぶられ」が到達点。

・達観したあとで振り返って「曖昧なものでした」というのは達観した自分の感想として言うのはいいが、後を追う人の道しるべにならない。「山のてっぺんは気持ちいいですよ」じゃなくてどうやってそこまで行ったかが知りたい。

・病部分の外在化。とりあえずの健康部分の救出。

いのちはモビール (精神科医と整体師の技術対話)