弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

判例タイムズ1438号 訴訟充実促進、外壁タイル、遺産分割、転倒事故、フェイスリフト、婚姻予約

・古閑裕二「審理の充実・訴訟促進の中興方策案」

「有効な求釈明がされないなどの理由により、当事者の主張がかみ合わないまま、相手方の主張に対する反論が繰り返され、その準備書面を、裁判所が無制限に陳述させているという批判」「もし、現代の裁判官の側に、準備書面の事前提出が口頭主義の必須の前提であるとの考えがあるとすれば、それは、百年河清を俟つに等しいのであって、むしろ、口頭主義発達の阻害原因にすらなり得る。裁判官の訴訟運営においては、当事者の主張の「予測」が必要不可欠である。そして、予測をする技法は、要件事実論にほかならない。」「筆者は、このような現象(五月雨的争点整理)の原因は、争点整理手続の運用の在り方に問題があり、①争点整理においては、裁判所が議論をリードする必要があること及び②対論は集中的に実施して初めて効果があることが忘れられているか、少なくともこのことを意識しないで運用していることにあるのではないかと考える。」

・高嶋卓「外壁タイルの瑕疵と施工者の責任」

・大阪高裁平成28年9月27日決定

遺産の土地を代償分割させた原審判を変更し、抗告人の代償金支払能力、抗告人が土地の換価分割に反対し相手方も難色を示していることなどから、共有取得を命じた高裁決定です。

・大阪地裁平成29年2月2日判決

介護施設内の転倒事故で安全配慮義務違反を認めた裁判例です。過失相殺4割。

・東京地裁平成28年11月10日判決

フェイスリフト手術の手技上の注意義務違反を否定し、説明義務違反を認めて慰謝料(50万円)とした裁判例です。

・東京地裁平成28年7月13日判決

婚姻予約の不当破棄による慰謝料請求を認めなかった裁判例です。

南直哉、為末大「禅とハードル」

南師(呼び方!)は、自分のようなものの言葉に惹かれる人はあぶないというけどやっぱりぐっとくるのよね。ほんとぐっとくるな~南師はすごいなあ好きだ!と思いつつ、もし自分の子どもが南師だったら途中経過は母としてはつらいだろうなあなど。

例えば神を信じると言ったときにですね、ものすごく真面目に考える人は、「神を信じる」ということをどう考えるか、どういう状態で信じているのかってことを考えると思うんです。例えば、もし一生懸命お祈りしていれば神様は聞いてくれるっていうのが「信じる」ということだとしたら、これは基本的には取引なんです。そうでしょう? つまり自分の力で神様を動かそうってわけですから。「これだけやったんだから、お願いしますね神様」っていうのは取引じゃないですか。取引だからそれは信じるということとは違う。 信じるというのは、何が起こるかわからない、どんなものだかわからない相手をそれでも「信じる」ということです。自分にはまったくわからない神のような絶対者、もしくは「死」のようなものかもしれない。とにかく、わけがわからない予測のつかないものを信じるということです。そんな、わけのわからないものを信じるというのは普通は難しいことです。しかしわけのわかるものを信じるのは取引にすぎない。そうすると「わけのわからないものを信じる」ってことを実行しない限りはそもそも「信じる」ことにならないわけですよ。わけのわかるものだったら信じなくてもわかればいいんですから。信じることを発動させるためには、わけのわからないものに対して身を投げなきゃいけないんです。信じる相手はわからない存在だから、相手に向かって何かを問うわけにもいかないわけだし、そうするとできることは、自分がどういう状態であることを「信じている」状態であると定義するか、それを考えるしかないんです。

このくだり、テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」そのものです。

「認める」というのは「許す」と似ているんです。人が人を許すことの一番の問題は、許す自分を許せるかということなんです。誰かにひどい目に遭わされたとして、相手をそれでも許すというのには二重の構造があって、ひどいことをした相手を許す自分を許すということが重要なんです。同じように、誰かに対して、報われなかった努力を認めますよと伝えたときに大切なのは、「無駄になった努力」というものを自分自身がどう総括していて、どう許しているかを伝えることだと思います。それが自分の中で完結して初めて、相手に向かって訴えることができると思うんですよ。

あと、この「二重構造」はまさしくそうですごく言い当てていると思いました。

禅とハードル

YM「KSN」

読み切ってないし悪口なのでイニシャル化。

アタマ休めのSFを求めてなんとなく買ったけど描写の陳腐さに耐えきれず18%くらいまで読んで断念。ひどかった。

ビジネスの場面での登場人物のセリフがありえない感じないのとか、60代半ばのひとを「かくしゃくとして」とか表現しているのとか、物を知らない人が背伸びして書いてる感じがしてイライラして私はこういうのは読めない。どうしてこういうのがまあまあ読まれてるのか謎だけど実際昔からこういうものなのだった。しばらく知らない作家は読みたくない。

伊坂幸太郎「AX」

最初は読んでも読んでも退屈な内容でどうしたかと思ったけど、最後はまあ伊坂だねってなりました。わかりやすいおもしろさを打ち出すのを控えているのかな、それとも恐妻エピソードが私にとって別におもしろく思えないだけなのか。

AX アックス (角川書店単行本)

ジェーン・スー「今夜もカネで解決だ」

ほんとにやわらかいものしか読みたくない精神状態で(今回の更新群に文句が多いのもこのあたりがなんかあるのかもだけど)。こんなジプシー状態にならないで決まったところに定期的に通えばいいのにとしか思えなくて、こういう自虐風味の、わかっちゃいるけどやめられないワタシで落とすタイプの女性エッセイってあるけどぴんとこないわ。

 

今夜もカネで解決だ