著者の激しい実体験からの教訓など。
・「「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」(ハーグ条約)における外務省の業務」
特に、執行現場における子の利益について。回復力や適応力の促進という視点。
・「家事調停における対話促進スキルの適合性」
参考文献リストも。
・「家事調停における「子の意思の把握と考慮」~家裁調査官の立場から~」
「家庭裁判所で働く者には、相手が子どもであっても大人であっても、つらい話に触れることに対する優しさとか申し訳なさをどこかに抱えていることが、すごく大切」。少年事件と家事事件の接点、家事調停は子の福祉を守る水際・最前線。「素直に本当の気持ちを話してくれるという幻想や期待を持たない。」。間に置いてある物を一緒に見ながらそれについて話す技法。聞くではなく教えてもらう。親権養育費という切り分けではなく「養育プラン」と包摂的な問題提起。「主体としての子」。
・「養育費・婚姻費用の増減額の始期について」
基本は請求時だけど増額と減額で考慮要素が違ったり、バラつく場面も。
急にkindleなしで数時間過ごすことになったときとっさにつかんだこれ。帯に、「輪廻や復活は本当にあるのか、三位一体は矛盾ではないか、無我ならば倫理の責任主体はどうなるのか」なんて、ぐっとくるじゃないですか!
南さんは最初っからこりゃ変わり者だな!と明らかでありつつ、来住さんも相当のものだと途中からわかってきたので、どっちも仏教キリスト教のオーソドックスな立場ではなさそうとは承知だけど、終始つかまれっぱなしで、興奮しながら読んだのでした。
・「言語とは違う何か、言語を発する始点というか、発射台みたいな場所を確保しないと、「眼蔵」はわかりそうにない。」
正法眼蔵のことは保坂もどっかで書いてたけど、この、「言語の発射台」という言い回しだって、保坂じゃないのになんとも保坂っぽい。わたしも正法眼蔵読もう!
・真理よりも自分の疑問や実存にアプローチできるか、有効かどうか。
・「ブリリアントな言説で、かつ本流に異を唱えるかに見える言葉に惹かれる人は危うい」
・まったく違うパラダイムの有用性
・こちらが拒否しても思いどおりにならずに現前してくるもの=リアリティ。という意味で、死者は実在する(ここも保坂っぽい)。
・人権思想とキリスト教。社会運動と怒りと仏教の役割。
・生存の苦しさと存在の苦しみ
・いやがらせを言う人の効用
・「わからない」ではすまないとなったら跳躍するしかない
・全体として旅路を歩むものとしての人間像
・スタートでは判断、ふりかえれば恩寵
・自分の主張を国は採用しないだろうという前提での主張は現実に責任を持つ人の態度ではない
ふたりとも左翼嫌いで手厳しい!
・世の中の大きな流れには必ず人間にとっていいものがある
・怒りへの態度
・死刑について
ここも、激しい。そしてまったく同感。
座談会「Death Law(デス・ロー)をめぐる金融実務の諸問題」
デス・ローなんてまとまるとかっこいいみたいですが、要は後見と相続です。
寄与について、報いることの是非とそれが消極のために泣いている無数の当事者のジレンマ! 嫁の踏んだり蹴ったり状態。
遺言と法定相続との原則例外の関係が中間試案ではひっくりかえっているように見えること、など。
そういえばここには書いていないけど、「置かれた場所で咲きなさい」なども読んでました。もともとこの言葉は、ヒラリークリントンが大統領選に敗れて、オバマのもとで国務長官を務めるときに引用していたのが印象に残っています。
この方が鬱病をわずらい入院までなさっていたとは知らず、驚きました。こうやって鮮やかに復活する例もあるのですね。私も、なんでもやればできるの勢いで生きてますが、50代で急にウツってこともあるのでしょうから気を付けよう…
あと、「なぜ」という問いを原因追及ではなく目的で考えるというくだり。病は神の業を示されるためなのだなのかどうかはともかく、子どもの相手をするときに、たとえば「おひさまはどうしてあるの?」と聞かれて、「なぜなら地球は惑星で太陽は恒星で」とかビッグバンにさかのぼってしゃべっても意味なくて、「みんなをあたたかくあかるくするためにだよ」とくらいに言っておけば満足してもらえるというのも、「なぜ」を原因ではなく目的でとらえなおす話法で、これってけっこう使えるものです。