長距離移動中に庄野一気読み。
え!こんなの書いてたの?とびっくり幻滅した初期作品。夫である作家が妻の一人称で、不実な夫に対する妻の気持ちを書く、しかも、「魂が抜けたようになって」という表現は、まさに、太宰治「おさん」の「たましいの、抜けたひとのように、」という忘れがたい書き出しが絶対に絶対に浮かぶじゃないですか。そして明らかに、太宰の方がよいんだもの。これで、保坂に対して、でも猫やプロスポーツがこんなに好きな男とは付き合えないと常に思ってるみたいに、庄野に対しても、でもこのひと、初期は太宰もどきだったしな、と常に思うようになってしまいました。
でも、「絵合わせ」で、脈絡なくいろんな話題が出てくるようで、実はさりげなくテーマのつながりがあるのとかはほんとにすごい技だと思って、単なる日記のようでこの文体や展開の練られていることは並大抵じゃないのです。
でもでも、「インド綿の服」までくると、どうなんでしょうねえ。文体や展開がどうというより、足柄山の長女さんの愛嬌あるお手紙に寄りかかりすぎなんじゃないかしら。固定ファンにはもう何でもありという域だったのかなと思うけど。