弁護士ラベンダー読書日記

札幌弁護士会所属・弁護士田端綾子(ラベンダー法律事務所)の読書日記

青木晋編著「人事訴訟の審理の実情」

必携でしょう。

明示されている加筆部分のほか、「東京家庭裁判所における人事訴訟の審理の実情第3版」と比べてみると、注6の原告住所地の管轄の経緯についての論調が強くなっていること、東京家裁では和解離婚時の当事者の出頭を必ずしも求めていないことの記載が加わっていることが目につきました。

人事訴訟の審理の実情

金融法務事情2089号 遺言執行、信託、財産分離

・中田朋子「相続法改正により遺言執行・遺言作成はこう変わる」

相続法改正の実務への影響がまとめられています。改正前でも活きる技(成書でここまで書かれるのは見たことないような!)がふんだんに紹介されています。

渋谷陽一郎「金融機関からみた民事信託の支援を行う士業者」

「士業者の野心もリスク」「事業者としての派手な営業活動と専門家としての地味で地道な知識の研鑽は両立が難しい」「実務経験の多さを誇ってみても、それが不完全な実務の集積であれば意味がない」などなど、手厳しくごもっともな指摘が続きます。

最高裁平成29年11月28日判決

後見報酬確保のための財産分離を試み、家裁は認め、高裁が取消差戻、最高裁が抗告棄却。差戻後にどうなっているか?

春日武彦「「治らない」時代の医療者心得帳 カスガ先生の答えのない悩み相談室」

そしてまた春日先生。3精神科医の平行読み継続中です。

私は月イチで地元紙の電子版にコラムを載せてもらってるんですが、深淵な中井先生や鋭い春日先生を読んでると、もう既に世の中に出ているこれらに付け加えて私などが書くべきことは何もないだろうと思えてしまってコラム書きに支障があります。しかし思いだすのは、「どうせ大したことは見も、感じも出来るわけではないということを胸に刻みこむこと。その代り、「当たり前のことで、何も珍しいことではないかも知れないが、自分はいっておきたいことがある。どうもよくは分からんが、自分には話すだけの価値のあることのような気がするから。別に誰が聞いてくれなくてもいいことだが」ということは、しっかりと書きたい。つまり、そいつこそ私の打つべき羽根に間違いないだろうから。」(庄野潤三「自分の羽根」)。

・体験と知性と退屈が生み出す喜び

・量はやがて質に変化する

・全能の神に対するあてつけとしての人の営み

・強運に勝るものはない。気合で治す。

・生きる意味は淡々とした蓄積や経験に潜む

・対等ではない関係性でコントロール願望は危険

・若干のシニカルさと強迫的傾向と羞恥心。自己嫌悪と表裏一体の優しさや共感。

・負けるが勝ち。手の内を見せる。

・人生の文脈、意味の顕現

・誰にでもできるようなことをしているのに誰もが達成しうるわけではない結果を引き出す

・不確定要素は当人の運の問題

・たまにはジョーカーをひくことで罪滅ぼし

・解決と和解。時間がかかるとは成熟や立ち直り

・退路を断たずに振る舞うことが大人であることの基本

・無時間モデルをとらない。中腰で我慢する力。時間が解決

・共同性と異他性

・時間性を取り入れることと他者を受け入れることとはシンクロ

「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室

中井久夫、山口直彦「看護のための精神医学」

名著。深淵すぎる中井先生の言葉が、春日先生を補助線として読むとよけいに腑に落ちるような感じ。

・医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。(名言!)

・安定した看護、治療、相談は、「守秘義務をもった他人」だけができる。

・だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ。

・仕事を終えてもある患者のことが気になってしかたないなら、その患者に心理的に巻き込まれている。

・人間の身でありながら、少し人間以上のことをしなければならない者(←弁護士含む!)は、とくに精神健康に気をつける必要がある。傲慢な人になるかもしれない。そのツケが、家族にあらわれるかもしれない。

・正義われにありとか自分こそという気がするときは、一歩下がって考え直す。

・私たちを内面的にも外面的にも守ってくれるのは「無名性」である。

・「自分」が妙に意識されているときは、よい治療を行っていない。

・深刻な葛藤を抱えているときは万事控えめに、また、よく確認しておこなうことである。

・こころの中で「この人にも私にはみえない何かよいものがある。それがいつか生きるかもしれない」と念じておく。

・あたま、気、からだの3本立て。

・病識は、時満ちて病識に耐えうるしっかりした余裕があるところに自然に生まれる必要がある。

・薄皮を大切にして、はがないこと。

・睡眠をはじめとする身体の自然治癒力に助けられ、その上にうまく乗っかる。

・質問はすでに治療力がある(逆に破壊力もある)。

・支持的か切開的か、変化か安定か、強くするか(凹ませたり子ども扱いしたり納得していない結論を押しつけると弱くなる)、言語的か非言語的か。

・会ってから次に会うまでの時間中に働くもの。

・実感は論理より強い。

・(幻覚や妄想に対して)ふしぎだね、中立的態度。「困惑」という一点で患者とつながる。

・まなざしには治癒力も人間を解体から守る力もある。

・子どもが何を考えているか親には見えなくなる。透明な稚魚が不透明な成魚に。

・病気になる脆さが病気を通りぬけることによって払い落とされる。病気の前に戻すのではなく病気の前よりよくする。

・躁よく躁を制す。

・やさしさが権利化している。やさしさをめぐる幼児性の呪縛。やさしさは、押しつけがましくなく相手を包むものであり、求め求められる関係を超えたものであって、求めて得られるものではなく、求められてさずけるものではない。(ここ、ものすごく深淵なことが細かな字でさりげなく書いてあるところです)

・成熟とは、自分がおおぜいのなかの1人(ワン・オブ・ゼム)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である、という矛盾の上に、それ以上詮索せずに乗っかっておられることである。(矛盾を突き詰めず乗っかっていること、春日先生に言わせれば「中腰力」ということになるのでしょう。)

・疾病利得。病気という大きな社会的・健康的不利を賭けて得ようとするものであるから、切実なものが多い。疾病利得を現実の場面で実現させるとは、要するに、ストレスが少なく、人生の楽しさが多くなるようにすることである。

・主体性の回復。

・戦いは必ず共倒れに終わる。

・障害された人格とつきあう。

・問題だと思っているものの半分は解かなくてもよく、さらに半分は時間が解決する。

看護のための精神医学 第2版

春日武彦「臨床の詩学」

春日先生は読んでいるとそうそうあの人もそうそうとかいろんな想念がわいてくるのが刺激的。こちらは春日先生ほど人間が練れていないので春日先生が繰り出す上手な悪口により重ね合わせた具体の人々への思いが言語化されてしまったものが自分の中でうまく消化されずネガティブな感覚が残るときがあってちょっとしんどい部分もあり。それでもだいたいはうまく着地させてくれることが多くて、そこもさすがと思う。

そして平行して中井久夫先生も読んでるんだけど、こちらはときどきはシニカル、深淵すぎてよくわからないほどの毒気をごく抑制的に書いているのだろうなと感じさせるものがあります。対して、そこをかなりあけすけに書いてくる春日先生。

またさらにもうひとり別の精神科医の著書(これは読み終わってもここには書かないのだけど。自分の記憶喚起のためのメモ→)も平行して読んでて、こちらはなんと中井先生レベルのシニカルさすらなくまことに澄み切った境地で、どうしてこういう方がこの世に存在できるのだろうと、文章上だけでなく直接にご本人を存じ上げていて実際に天使のような方なのでよけいに不思議でならず。切り替えるたび食い合わせ悪いなあ!といちいち驚きつつ、それぞれの世界に自分がはまりきらないように中和するような平行読み。

臨床の詩学